ブルキナファソの首都ワガドゥグに来た。
毎回飛行機は何時間も遅れ子連れの私は
夜間のホテル探しに飽き飽きしていた。
アビジャンを発つ前に当時あった,グランマルシェ
の真ん前のホテルに予約を入れていた。
いつも夜に着かないよう時間を調整しても又もや8時間遅れ。
 それなのに,それなのに,私の名前を大きく書いて空港に
迎えに来てくれていた。ブラーボー!!良かった,
『ありがとう!待っていてくれたの?うれし〜〜〜〜〜い。』
『飛行機が遅れていたから何回も来たんだけど。』
これで何もせず爆睡出来る。
この町はオートバイがたくさん走っていた。
ハルマタンの季節で砂埃が凄くほんとに暑かった。
わがままな客は夜中の3時に『喉乾いた』と言えば,
オートバイ(足はみんなオートバイ,タクシーも,後に乗せてくれる。)
で一走り『えっ,こんな夜中にわざわざ買って来てくれたの?』
『肉は食べないんだけど』と言えば他のもので作ってくれたり。
『又,仕入れに行くの?暑いからお嬢さん面倒見るよ!』
何と気の利く人達なのだろう。
この人達のホスピタリティーにはほんとに脱帽です。

写真のレストランはグランマルシェの裏側にある。素敵なレストラン
【ワッサ】この日も食事をしようと入って行ったらお目当ての席には先客がいた。
良く見ると見た顔『えっ,一体こんな所で君は何をしているんだ?』
昔,ラフォーレ原宿の真ん前のケンタッキーの跡地にあった,
幻の大きなアフリカの店【アフリカンスペース】の
オーナーイボリアンのSだった。
『貴方こそこんな所で何してるの?』
全くこんな所に来てまで東京の知り合いに会うとは不思議な事です。

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by africa-ya | 2007-01-30 02:33 | Diffrent Places

お洒落なセネガル人女性にも大人気の高級ワックス
【UNI WAX】を作っている所と言えばコートディボアー。
ここはアフリカなのと思わせるような超高級な所も多かった。
連日,布の問屋を駆け巡った。
元,在日の大使館に勤めていた家族に会いに行きすっかりお世話になった。
三食美味しいごちそうを作ってくれた。子供達も毎日遊んでくれた。
友達のジュリエットはグランバッサムにも連れて行ってくれた。
あれからクーデターもありみんなどうしているか?
兎に角,元気で過ごしている事を願うばかリ。
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by africa-ya | 2007-01-30 02:31 | Diffrent Places

ゴレ島があまりに気に入ってしまい。
私達は部屋を借りる事にした。
そこのオーナーが何とパリの有名なアフリカのお店の経営者だった。
そこにある家具にしろ何にしろ素敵の一言。
そこにはアトリエがあり私達はそこで作品を作っていた,前衛アーティストの
【ムサ・サホ】を紹介してもらいガラス絵を習った。
そして,あのセネガルのガラス絵アーティスト【モー・ゲイ】に会いに行き
彼の作品を譲ってもらった。私はここに滞在したお陰で色々な
アーティストと知り合えハッピーだった。
96’年末のゴレ島のフェスティバルに【ママアフリカ】や【ラティール】
が出るスペクタクルがあり,ユキちゃんと日光もダンスで参加した。
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by africa-ya | 2007-01-30 02:18 | Diffrent Places

 私達親子は知り合いのライベリア人からチケットを買った
モスクワ経由で西アフリカの玄関,ダカールへ。。
帰りはブルキナの首都ワガから帰れるチケットを頼んだ。
大陸内はダカール→バマコ→アビジャン→ワガドゥグを
エアー・アフリーク。ダカールまでの便には酒飲み友達?
太鼓叩きの寺ちゃんもいた。
私達はロンリープラネットを参考にして旅をした。
セネガルの町の中に入って行くと,そこには着飾った
女性達がいっぱいいた。
ブーブーをシャカシャカさせながら歩いている女性。
頭の上に荷物を載せている女性どの人も絵になる。
ここセネガルは,お洒落度NO.1
デザインもバラエティーにとんでいて洗練されている
衣装を作るには最高。それに本場のサバールが見れる。
ここでは私達にとって色々な出会いがあった。
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by africa-ya | 2007-01-29 21:26 | Diffrent Places

フィラデルフィア

N.Y.からアムトラックに乗って2時間位するとフィリーに着く
フィリーには日光のおばあちゃんのローラが住んでいた。
N.Y.にいた頃はたまにローラに会いに行った。
ローラはサウスキャロライナ出身のチェロキーインディアン
とブラックのミックスで彼女の自慢は若い時に
(この間亡くなったJB)ジェームスブラウンにプロポーズされた事だった。
1人で何人もの大男を育て上げた,たくましくて優しいビッグママ!
さぞ,大変だったに違いない。下から3番目の唯ーの娘レンと
(下の写真で一緒に歌ってる孫のマーカス)と暮らしていた。
ローラは良く美味しいソウルフードを作ってくれた。
古き良き時代60〜70年代の話をしてくれた。
Black is Beautyful ,ブラックパンサー,マルコムXの時代
下の写真のビーチはローラが昔素敵なビーチだった
と言っていたコニーアイランド。
ブルックリンの地下鉄の終点に小さな遊園地に大きな観覧車がある。
たまに泳いだり魚釣りに行きカニや魚を釣って夜みんなで食べた。

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by africa-ya | 2007-01-26 03:13 | Diffrent Places

小さな友達

N.Y.時代友達になった人は子持ちの人が多かった。
ブルックリンのイースタン・パークウェイにいた時に最初に声をかけてくれた
のは日本人の家族だった。みおちゃんと言うかわいいおかっぱ頭の女の子がいた。
N.Y.の父さんと母さんのような人達本当に色々な所に連れて行ってくれた。
私達はそこにずうずしく半年近くも居候していた。
その頃友達になった別の家族は奥さんのリサがトリニダットトバコと言う
カリブ海の出身で良く現地の料理を作って招待してくれたルーディと言う
優しい旦那さんと,日光の遊び相手のンゴジと言う男の子と暮らしていた。
アフリカから色々輸入して売っていた。 他にもたくさん友達が出来,
大道芸人のスクーピードゥーもタートル忍者も仲良しだった。
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by africa-ya | 2007-01-26 02:02 | Diffrent Places

 ハーレムに移っつて間もなく,私は娘に似合う服を作ろうと
布を探していた。当時、その辺りは西アフリカの人達が
125thのメインストリートに軒を連ね自国の物を売っていた。
毎日仕事帰りに娘を迎えにいき買い出し。
その中の布のお店の前で私は固まった。
【このカラフルでユニークな布は一体.....?】
それからと言うもの もちろんいりびたり,
見れば見る程楽しく面白い!
これらの布に吸い込まれてしまった。何とも魅力的!
『 いつかこの布を日本で紹介すると夢は膨らんだ!』
ストリートの中心にあるアポロシアターの向いには
125th Martと言う素敵なファッションビルが あった。
アフリカの布,絵画,Tシャツ,テーラー,ネイルサロン等々があり
2階ではアフリカのお茶を飲んだりご飯が食べられたりした。
 子供服屋のマダムと仲良くなり子供服を沢山作ってもらい
日本に輸出。
他にも当時まだ日本に無かったアウトレットファクトリー
(同じニューヨークでも4時間くらいかかる)に行き日本人の好きな
ブランド品も集めた。
ダウンタウンでは可愛いディズニーの子供服を仕入れ
日本で売ってもらう事にした。
しかしブランド品などには何の興味もわかなかった。
私を釘ずけにしたのはあのカラフルでユニークなアフリカの布。
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 アフリカの女性は髪につけ毛を付け髪を細かく編み
その上にターバンを巻く、何とも手間ひま掛かっているのである。
昔の着物を来ていた日本人に通じる物がある。
衣装にはチューライの香りを焚き込み、ウェストにはビンビンを付けその上に
アクセサリーを沢山つける。衣装も反物から選び自分に似合う形に染めさせデザインする
襟などには補強とデザインも兼ねた刺繍を施し,リボンを付けたりとゴージャスで素敵!
Tシャツにジーンズのアメリカ人の中で,何てお洒落な人達なのだろうと思った.
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by africa-ya | 2007-01-25 11:00 | Diffrent Places

2歳のニューヨーカー

 アメリカと一言で言っても広く,以前いた カリフォルニアとは
全くここニュ—ヨークは違っていた。
アメリカでは面接ひとつとっても自分のモチベーションを
かなり上げ自分を最大限にアピールしなくてはならない,
アグレッシブさがものを言う。『もし,私を雇わなかったら
この会社の未来はない』くらいのはったりは言っておく?
脅迫めいた?インタビュー....... 日本人の謙虚な私?
がこんな所で娘を抱え生活出来るのか?と途方に暮れても
何とかなるさ!とたくましい自分で良かったと思う。
就職はしたもののデェイケアーセンターはいっぱい。
やっとみつけたベイビーシッターもスパニッシュしか
話せない夫婦だったが,選択の余地はなかった。
 あんなにおしゃべりだった娘は毎朝,食べたものを
受け付けなくなってしまった。しまいには口も効けなくなってしまった。
日系の上司が他に見付かるまでと気を聞かせ時間をくれたが....
その後,友達に紹介されたユニオンスクエアーの青空マルシェの
マネージャーのおじいちゃんに会いに行った。
そこで手伝いながらアパートの部屋も借りれる事になった。
以前働いていた,ナショナル麻布スーパーマーケットと言う所に
連絡を取り仕入れ担当だった友人に,N.Y.の卸屋で買い付けたものを
置いてもらったり, 東京の外国人のコミュニティーに大きいサイズの洋服の
カタログを送り注文をとったりした,
その頃バブルだった日本に輸出する事にした。
今では当たり前の通信販売である。
 捨てる神ありゃ拾う神あり。N.Y.では本当ではたくさんの方々に、
いや何処に行っても周りの人達に助けられている。感謝の一言。
 これで娘を預けなくても一緒に仕事に連れて行ける。
この時から私は自分の住んでいる所を仕事場にしている。
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 アパートはアップタウン,セントラルパークからイエローキャブも
寄り付かないハーレム144丁目。この頃は治安も悪く10ブロックごとに,
必ずと行っていい程,怪しい人達が立っていた。
 しかし仕事が終わると125丁目ハーレムのメインストリートに行く。
先ずはコリアンの家族が経営する魚屋さんで売っている
カニのフライを食べ腹ごしらえをする。
そして目的のアフリカから出稼ぎに来ている人達の
マルシェに行って色々な物を探す。これはとても楽しかった。
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水曜日の夜はアポロシアターでアマチュアナイトも観れる。
レイ・チャイルズのピアノを目の前の特等席で観たり,
ジャボン・ジャクソンのサックスを目の前で聞いたり
夜中に地下鉄で帰り, 『こんな時間に子供を連れて!何を考えている!
ここは東京じゃない! 』と良くじいちゃんに説教された。
心配をかけて申し訳ないと思う。しかしもう怒ってくれるじいちゃんもいない。
ここハーレムは華やかなマンハッタンの中心とは違っていたが,
私にとっては何とも魅力的な場所だった。ハーレムで良く声をかけてくれた
近所の人達, 西アフリカから出稼ぎに来た人達,色々な所に一緒に行った友達
みんなどうしているのだろうか?
家の2歳になる小さなニューヨーカーも,もしかしたら色々な刺激を
受けていたのかも知れない。

人間色々な物を見たり聞いたりと五感を使う事は本当に大事だと思う。
ここで私は西アフリカの布と出会った。 80年代も終わりに近づいていた。
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by africa-ya | 2007-01-24 22:33 | Diffrent Places