2歳のニューヨーカー

 アメリカと一言で言っても広く,以前いた カリフォルニアとは
全くここニュ—ヨークは違っていた。
アメリカでは面接ひとつとっても自分のモチベーションを
かなり上げ自分を最大限にアピールしなくてはならない,
アグレッシブさがものを言う。『もし,私を雇わなかったら
この会社の未来はない』くらいのはったりは言っておく?
脅迫めいた?インタビュー....... 日本人の謙虚な私?
がこんな所で娘を抱え生活出来るのか?と途方に暮れても
何とかなるさ!とたくましい自分で良かったと思う。
就職はしたもののデェイケアーセンターはいっぱい。
やっとみつけたベイビーシッターもスパニッシュしか
話せない夫婦だったが,選択の余地はなかった。
 あんなにおしゃべりだった娘は毎朝,食べたものを
受け付けなくなってしまった。しまいには口も効けなくなってしまった。
日系の上司が他に見付かるまでと気を聞かせ時間をくれたが....
その後,友達に紹介されたユニオンスクエアーの青空マルシェの
マネージャーのおじいちゃんに会いに行った。
そこで手伝いながらアパートの部屋も借りれる事になった。
以前働いていた,ナショナル麻布スーパーマーケットと言う所に
連絡を取り仕入れ担当だった友人に,N.Y.の卸屋で買い付けたものを
置いてもらったり, 東京の外国人のコミュニティーに大きいサイズの洋服の
カタログを送り注文をとったりした,
その頃バブルだった日本に輸出する事にした。
今では当たり前の通信販売である。
 捨てる神ありゃ拾う神あり。N.Y.では本当ではたくさんの方々に、
いや何処に行っても周りの人達に助けられている。感謝の一言。
 これで娘を預けなくても一緒に仕事に連れて行ける。
この時から私は自分の住んでいる所を仕事場にしている。
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 アパートはアップタウン,セントラルパークからイエローキャブも
寄り付かないハーレム144丁目。この頃は治安も悪く10ブロックごとに,
必ずと行っていい程,怪しい人達が立っていた。
 しかし仕事が終わると125丁目ハーレムのメインストリートに行く。
先ずはコリアンの家族が経営する魚屋さんで売っている
カニのフライを食べ腹ごしらえをする。
そして目的のアフリカから出稼ぎに来ている人達の
マルシェに行って色々な物を探す。これはとても楽しかった。
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水曜日の夜はアポロシアターでアマチュアナイトも観れる。
レイ・チャイルズのピアノを目の前の特等席で観たり,
ジャボン・ジャクソンのサックスを目の前で聞いたり
夜中に地下鉄で帰り, 『こんな時間に子供を連れて!何を考えている!
ここは東京じゃない! 』と良くじいちゃんに説教された。
心配をかけて申し訳ないと思う。しかしもう怒ってくれるじいちゃんもいない。
ここハーレムは華やかなマンハッタンの中心とは違っていたが,
私にとっては何とも魅力的な場所だった。ハーレムで良く声をかけてくれた
近所の人達, 西アフリカから出稼ぎに来た人達,色々な所に一緒に行った友達
みんなどうしているのだろうか?
家の2歳になる小さなニューヨーカーも,もしかしたら色々な刺激を
受けていたのかも知れない。

人間色々な物を見たり聞いたりと五感を使う事は本当に大事だと思う。
ここで私は西アフリカの布と出会った。 80年代も終わりに近づいていた。
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by africa-ya | 2007-01-24 22:33 | Diffrent Places | Comments(0)

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by 踊るアフリカ屋営業部長
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